慈恩寺文書(さいたま市指定文化財 昭和35年4月1日指定)
当寺には岩槻城主太田資正の天文18年(1549)の判物以下、518点の古文書が伝えられている。内容は、寺領寄進状、慈恩寺法度等の幕府や岩槻藩の保護・統制に関するもの、寺院の組織・経営に関するもの、その他がある。
幕府や岩槻城主の寺院支配・寺院・寺領経営・寺領村落の様相などを知る上で貴重な資料である。

建造物
本堂(観音堂)
現在の本堂(観音堂)は天保7年(1836)に焼失したのを、天保14年(1843)に建立したもの。寄棟造り。昭和12年(1937)に改修し、入棟造りとなっている。

山門
幾多の火災にも焼け残った本坊の門。元禄4年(1691)建立と伝える。

本坊
昭和62年5月に完成した。

開山堂
もと池の端にあった行堂を移したもの。中には慈覚大師像を安置。

白馬堂
宝暦年間(1751〜1763)ぶ奉納された。

上院権現社
秋季大祭の時に、ここで毘沙門天の法要が行われる。
彫刻、工芸品(境内)
南蛮鉄打灯籠
天正17年(1589)5月に岩付城主北条(太田)氏房の家臣、伊達房実より寄進された鉄灯籠。市指定文化財。

金銅製阿弥陀如来坐像
天和2年(1682)の江戸大火、通称「八百屋お七の火事」で亡くなった人々の供養のために造られたという
彫刻、工芸品(本堂内他)
獅子頭
幡ヶ崎坊の僧侶が越後国から伝えたもので、関東ささら獅子舞の元祖といわれる。

木造千手観世音菩薩坐像
慈恩寺の本尊。寛永年間(1624〜1643)に天海僧正が比叡山より招来したもの。

木造二十八部衆
本尊千手観世音菩薩の従者である眷属、天保年間の作といわれる。

木造地蔵菩薩立像
室町時代の作

木造閻魔大王
貞享5年(1688)の墨書銘をもつ。仏師小玉左近作。

木造奪衣婆
元禄8年(1695)の作。

本堂天井龍図
本堂の天井に描かれた巨大な龍図。絵師は狩野寿信。

慈恩寺境内総絵図
元禄7年(1694)8月に描かれた慈恩寺境内図。

絹本着色徳川家康画像。
江戸中期頃の作品か。全体によく描けており、家康を描いたものの中では優品である。

今上皇帝御代々尊儀
二代将軍秀忠(台徳院)から十一代将軍家斉(文恭院)までの将軍家と天皇家の名を連ねたもの。

絹本着色総鎮守十二