慈恩寺は、天長元年(824)慈覚大師(円仁)により開かれた寺院です。慈覚大師(794〜864)は、天台宗山門派の祖として名高い平安時代の僧です。
大師の出身は下野国(栃木県下都賀郡)の豪族壬生氏であると言われ、9歳から都賀郡小野の大慈寺の住職広智について修行を積み、15歳で比叡山に登って伝教大師最澄の弟子となりました。
その後、承和5年(838)遣唐船で唐(中国)に渡り、山東省の赤山法華院や福建省の開元寺、中国仏教三大霊山に数えられる五台山で修行し、承和14年(847)に帰国しました。帰国後、日記「入唐求法巡礼行記」全4巻にまとめ、当時の中国の有り様を克明に伝えました。
61歳の時に延暦寺第三世座主となり、71歳でお亡くなりになるまで、幅広い宗教活動を行いました。亡くなった2年後の貞観8年(866)、生前の業績を称えられ、日本で初の大師号・慈覚大師の諡号が授けられました。
関東北部から奥羽地域一帯には、大師とゆかりのある寺社が多く存在しますが、慈恩寺は早くから天台宗の有力寺院として栄えたため、大師との関わりは深く、慈恩寺という寺名も大師が学んだ唐の長安(現西安)にある大慈恩寺にちなんで寺名としたことに起因しています。
また慈恩寺の縁起について「華林山慈恩寺縁起」には大師が大杉の霊木を毘沙門天のお告げにより、千手観世音菩薩を彫刻して、慈恩寺の本尊として崇めたことなどが述べられており、当寺と大師に関わる伝説を今に伝えています。